感動・ビジネスクラスで世界一周の旅



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   日ごとの記録は右側「行動の記録」の「日」をクリックして開いてください。  
 総 括
観光記録
2019年10月  
18  バンクーバー 熊本発
19 ダウンタウン散策
20 ビクトリアへ
21 ビクトリア観光
22 ロンズデールキーマーケット
23 キャピラノ吊り橋
24 スタンレーパーク
25 チャイナタウン散策
26 ニューヨークへ移動
27 ニューヨーク     ニュージャージーのホテルへ
28 9.11メモリアルミュージアム
29 メトロポリタン美術館
30 5番街散策
31 オペラ座観賞
11月
1   バッテリーパーク、移動
2 ロンドン ロンドン到着
3 コッツウォルズツアー
4 ロンドン市内観光
5 大英博物館・オープントップバス
6   ウィンザー城
7   アテネへ移動
8 ギリシャ  サントリーニ・夕日のイア
9 サントリーニ・ティラ
10 アテネへ
11 アテネ市内観光
12 ローマへ
13 ローマ観光
14 アテネへ
15 カランバカへ
16 メテオラ観光のリンク
17 ドーハへ移動
18 ドーハ  ドーハ観光
19 香港へ移動
20 香港 香港観光
21 東京へ

 プロフィール
 
 じじ : 1948年生まれ
 ばば : 1947年生まれ
 生粋の団塊世代。
 ベビーブームの中でもまれて
 たくましく育ったつもり。
 足腰に軋みが来ても気持ちは
 まだまだ青年でいたい
   じじ と ばば なのです。


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 過去記録
  
 2008年7月 スイス
 
 スイスで1か月過ごしました。
 この時初めてホームページを立ち
 上げました。私の処女作です。

 
 2014年6月 アメリカ西部
 
  アメリカ西部・グランドサークル
  を1か月間ドライブしました。
  広大さと地球の息吹に感動しま
  した。

 
 2016年7月 フランス スイス
 
 13日かけてツール・ド・モンブラ
  ンを縦走、その後フランスユー
  レイルパスで世界遺産地巡りし
  た記録です。



  2018年7月スイス
 
 
 2度目のスイス、10年ぶり。アローザ、アン  デルマット、サースフェー、カンデルシュ テ ィークの4ヶ所に滞在。怪我もなくいい バカ ンスが過ごせた。



いま、嘘みたいな都市封鎖

世界一周の旅から戻り、5か月が過ぎました。もう4月です。そしてやっとこのホームぺージの全日程ページが埋まりました。何と時間がかかったこと。

旅程の三分の二も過ぎたところでカメラとiphoneを盗られ、それまでカメラで撮った写真がすべてなくなったこと、いろいろなトラブルの後遺症が記憶から消えず気分が乗らなかったこと、などが原因でどうしてもキータッチが進まなかったのです。

全ページを埋めた今、世界中は新型コロナの感染拡大でパニックになっています。
ニューヨークも、イギリスも、イタリアも、ほんの数か月前に訪れた場所が封鎖され、全く違う様相が映し出される光景に言葉が出ません。
トラブル続きだった旅がまだ続いているのだろうかと錯覚しそうです。
夢ならば早く夢から覚めたいです。

無理な旅はご法度

これまで10年以上も毎年一月くらいの海外滞在をしてきて、今回も日数的にはさほど大差はなかったのに、今回程疲れを感じたことはありません。何がこれまでと違ったのか、比較してみると

● 飛行機に乗る回数、移動距離が長かった
 飛行機はメインルートはすべてビジネスでフルフラット座席がほとんど、寝てもいいし、自由な体形で移動できるので疲れるどころか休息時間になったはず。

● 観光を欲張って休息するゆとり時間がなかった
 これまでの滞在でも毎日朝早く家を出て山に登ったり、観光にでかけたり、ゆっくりとした休息日を作ったことはほとんどなかった。今回より自炊も洗濯の機会も格段に多く、今回特に無理したということはない。

結局日数の長さと観光の密度ではなく、精神的な疲れが大きな原因だと思いました。

この精神的な疲れの原因こそがトラブルの続出。そしてこのトラブルを引き起こした原因こそが、身体の衰え。
体調が万全でないまま無理して出かけたことがそのような結果として、起こるべきして起こったのかもしれない。今回はそんな中でもほぼ計画通りに行程を消化して無事に帰り着いたけど、今後は今回のような無鉄砲な行動は慎み、ゆとりのある計画を心がけようと反省しました。


たくさんの方に助けられました
今回の旅ではまたたくさんの善意に助けられました。
●バンクーバーで大けがをしたときホストに看護してもらい、病院に行かなくても何とか旅をつづけられた。
 その時の傷跡は今も尾を引いていて今でも毎晩薬を塗っています。

●サントリーニ・イアのホストは依頼もしてなかったのにサントリーニ空港まで迎えに来てくれ、さらに次の宿までも車で送ってくれた。サントリーニのホテルは断崖に階段状に建っているので番地もなく、とても探しにくかったのです。助かったあ!

●アテネ空港から市内への移動中に乗換駅が封鎖されていて列車が止まらなかったとき、幸運にも空港ホテルのマスターが一緒だったのでパニックにならないで済んだ。突然の駅封鎖の案内はギリシャ語のビラしか貼ってなかったので私たちには対処不能だったのです。

●シンタグマ広場で置き引きにあってどうしたらいいか知恵が回らなかったとき近くにいた婦人にツーリストポリスが近くにあることを教えてもらった。


終わってみれば、感動満載の旅でした

海外で言葉は話せなくても今はiphone一つ持ってれば何とかなります。日本を脱出して、行った国の公共交通機関を利用したりスーパーで買い物する。暮らすように旅することによって日本では知りえない文化を体感することができます。この歳になっても知らないゾーンに入って新しい発見をすることによって、新たな生きがいを見出すことができます。その後に、日本に住んでいる自分がいかに恵まれた環境にいるかを実感できた時に旅をする意義を感じるのです。
トラブル満載でしたが、何とか無事に克服できたこともプラスされて、本当に二度と経験できない感動に包まれた旅を終えることができました。






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